きたね。今頃になって。
正式発表は8月1日。脳天に達したのが3週間後なんだから、
私のアタマも相当ガタが来ているらしい。
昨日の夕方ぐらいから、仕事がぜんぜん手につかなくなって
ずーっと曲を聴いたり、2チャンを眺めたりしてる。
「へぇ、こんなうわさ話もあったんだねー」なんて。
ライブのDVDも何回も観ちゃったよ。
カシオペアっていうのは、79年にデビューした
日本のインストロメンタルバンドで、絶頂期の80年代は
本当にキラキラした魅力を放つ素敵なグループだった。
ジャズ、ラテン、ロック、ポップスを自由に融合させた
心地のいい音楽。フュージョンというジャンルが確立されて
当時はタケノコのようにフュージョンバンドが輩出されたけど、
カシオペアの活動休止によって今も残っているのは、
結局F-1のテーマソングでおなじみの
T-SQUAREだけになってしまったな…。
寂しいとか、残念とかいう単純な感情ではないんだよね。
私自身、もうこの何年もアルバムは買ってないし、
ライブにも足を運んでいない。すでにファンではない。
でもこの人たちがいると思えれば、それだけで安心できた。
私にとってカシオペアはひとつのルーツ。生まれ故郷の
なつかしい友だちのような存在だったんだ。
私が自分を確立していく過程は、カシオペアとともにあった
といっても決して大げさではない。
音楽に目覚めはじめた10代の前半に出会った彼らの音楽は
本当に衝撃的だった。
歌がない世界なのに、音を聴くだけで広がっていくビジョン。
その色彩感溢れる鮮やかな音楽は、私の耳にはどれもなぜか
圧倒的な既視感をともなって届く。
まだ10数年しか生きていないのに、いつか大人になったときの
自分の記憶をたどっているような、不思議な感覚を覚える音楽。
一部では優等生過ぎる、明るいばかりで色気がないなんて
言われかたもしていたけれど、私はその世界観が好きだった。
カシオペアの音楽を聴いていると、いつも心がざわざわと騒いで
明るい旋律なのに涙が出てくることもたびたびだった。
インストロメンタルバンドというとどうしてもテクニックの
凄さなんかが取りざたされるけれど、確かに彼らのテクは
ものすごいものがあったけど、私がショックを受けたのは
彼らの存在そのものだったんじゃないかと思う。
「なんでこの人たちはこんなに楽しそうに、うれしそうに
演奏するんだろう…」
多分、それがまだ幼かった私の心を揺さぶった一番の原因。
この笑顔の源を知りたい。
彼らの持っているこの空気感をいつか共有する立場になりたい。
幼稚園時代も、小学生時代も「大きくなったらなりたいもの」が
何ひとつ浮かばない子どもだった私にが、生まれて初めて持った
未来への目標は恐らくこれだったんじゃないかと思う。
雑誌やメディアに次々と取り上げられて絶賛をうける彼らの
扱われ方は、インストバンドとしては今考えても破格だったと
思うし、アルバムを出すたび、ライブをするたびに新しい
才能を次々に開花させていくさまは見ていて小気味よかった。
常識も、音楽ジャンルの垣根も、国境も軽々と飛び越えていく。
その自由さと強さに私は強烈に憧れた。
(ここで言う〝強さ〟は精神的なタフさっていうこと。新しいこと
今まで誰もしてなかったことを笑顔でやってのける強さのこと。
いつでも余裕があるように見える、見せる強さに憧れた。
今思うと、当の本人たちにそんなゆとりはなかったと思うけど)
相変わらず「何になるか」はわからないままだったけれど
「彼らに近づきたい」「彼らのような大人になりたい」という
思いは確固としてあった。
東京に出てきた動機も、8割方カシオペアのライブ見たさ
会いたさだったような気がするし…。
そして、その思いは今、少なからず実現していると思う。
私は彼らのようにすごい成功を収めたりもしていないし
実質的に音楽の世界からも遠ざかってしまったけれど
彼らの音楽を聴きながら感じた〝幸せ〟を追いかけ続けて
それを形にして、手に入れることができた。
それは、自分なりの生きることの意味や理想を見つけて
それを守り、それを表現するために自分でなにかを生みだし
それを誰かの心に届けることができるということ。
素敵な仲間たちに囲まれて、心から笑える瞬間やワクワク
できる瞬間をいくつになっても持てるということ。
「みつめること」や「つながること」を開催したことで
かつて憧れていた「笑顔の絶えない彼らのステージ」に
自分もやっと立つことができたと思えた。
ここ数日、彼らのアルバムやDVDを視聴しながら
私は思ったのだ。「ここまできたよ」と。
カシオペアに出会えなければ今の私はここにはいない。
それは、はっきりと言えることだ。
彼らは、私の人生の道しるべだった。
余談だが、彼らは実際に私の人生が変わる場面に関わっている。
私のライターデビューはカシオペアのインタビューだったのだ。
幸運だし、とても不思議な偶然だと思う。
私はこのとき「願っていれば時間がかかっても夢は実現する」と
確信したし、仕事人として彼らと接する機会をもてたことで
受け身の人生やめて自分らしい幸せを追求していこうと
決めたような気がする。
ある意味でカシオペアから卒業したというか、うまくいえないけど
彼らと、というよりは夢と対等になれた気がした。
夢は見上げるものじゃなく、実はふいに隣にいたりするもので
手を伸ばせば届くものなんだと実感できた気がしたのだ。
多分、私はそれ以来、彼らのアルバムも買っていないし
ライブにも足を運んでいない。
カシオペアが活動を休止するという知らせを聞いた後
私は自分の中に湧いてきた感情が、どの種のものか
判断できない状態でいた。
時間が経ってそれが「後悔」であることに昨日気づいた。
それは、彼らのファンであることを辞めたことにではない。
ここからはファン崩れの妄想と思って読んでもらいたいのだが
私は音楽方面での執筆活動を早々に切り上げたことを
後悔していた。
駆け出しライターだった頃の私は、音楽業界独特の
しきたりや人間模様を向こうに回して書き続ける自信が
持てなかったために身をひいたのだけれど、本当は私は、
意地でも音楽について書き続けるべきだったんじゃない
だろうかと、ふと感じてしまったのだ。
恐らく、活動休止という判断を下すまでにメンバー各自、
とくにリーダーの野呂くんの中にはそうとうに苦しい葛藤が
あっただろうと思う。
とても傲慢な思いだけれど、今の私なら彼の苦しみを
理解することができたんじゃないだろうかと思ったのだ。
今の私なら、彼らの思いを聞き、理解して、誰より的確な言葉で
彼らのメッセージを世に伝えることができたかもしれないのに。
それができない自分の立場を後悔した。
考えても、もうしかたのないことだけれど。
でも、いつか、そんな機会が訪れればいいと思う。
それが多分、私に幸せなビジョンをたくさん
見せてくれたカシオペアへの恩返しになると思う。
最後まで読んでくれてありがとう。
今日の記事は、あべ自身が自分のためにまとめておく
必要があると思ったのでアップしてみました。
ちょっとイッちゃっててごめんね(笑)。
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新しい10年が始まった
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