このところ3日ぐらい机にへばりついていると
まず間違いなく、カラダが悲鳴を上げる。
肩がバキバキ、腰がギクギク。
冷房の効いたショップなどを訪れると
いきなりふくらはぎがツッたりする。
足がツルなんて今までしたことのない経験なのに。
四十路の声を聞いて、カラダも一生懸命
年相応を演じようとしているらしい。
あたしのカラダよ、そんなに律儀にならなくても
よいのですよ。フォーエバーヤングで。
今、まさに体を動かしたい最高潮状態。
1カ月ジムに行けていない。
iPod全開にして1時間ぐらい
エアロバイクを漕ぎ倒したい心境。
さて、昨日。
取材に向かう途中、目にした電車の中吊りに
不意打ちを食らって大泣きしてしまった。
「さらば、サザン」
とくに、記事の内容に触れられてるわけでもないのに
このひと言で涙腺が刺激されちゃうってどういうコト?
CDなんて(人からもらった)「カマクラ」と
「サザンオールスターズ」の2作しか持ってないから
ファンなんてたいそうなシロモノじゃぁ当然ない。
それなのに、こんな現象。
恐るべし、サザンオールスターズ。
ファンを自称する人たちの心は
いかばかりなんだろう。
サザンがいなくなったら、来年から
日本の夏はどうなっちゃうんだ??
そういえば、一昨年の同じ頃、個人的には
これより10倍濃い感情体験をした。
同じようにこれから先、山下達郎がいなくなったら
ユーミンがいなくなったら、渡辺貞夫がいなくなったら
坂本龍一がいなくなったら、あたしの心は
日本の人たちの心はどうなっちゃうんだろう?
この人たちがいなくなるということは
この国から良心のようなものが、
ひとつふたつと消えてなくなることを
意味しているような気もする。
80年代のヒーローではあるものの
彼らの存在は、世代観で括れるモノとは
恐らくちょっと違っている。
あたしたちの親世代が夢中になった
御三家や三人娘といった時代の寵児に
あたしたちが抱いている感情に比べ
サザンやここに挙げたミュージシャンたちに
対してうちらの10歳、20歳若い世代が
抱く感情には世代の壁を越えた共通項を感じる。
彼らが消えてしまうということは、
今現在ギリギリのところで頑張っている
多くの人たちから、最後の標となる光さえ
消すことを意味しているように思えることが
正直あたしはちょっと怖いなと思う。
「さらば」の文字を見てあたしが思ったのも
「おいて行かれるんだ」という喪失感だった。
恐らく、それほどまでに彼らの存在は大きい。
この国にとっても、この国の誰にとっても。
形のあるモノはいずれなくなる。
音楽が永遠なのは形がないからで
人間自体が永遠を手にするのは難しい。
時が流れている限りそれに
あらがえないことはわかっている。
けれど、せめて今ではなく……。
と望む気持ちをどうかわかってほしい。
音を紡ぐ能力を持って生まれた人間は
命に限りある私たちの中で、唯一
「永遠」を垣間見る権利を与えられた
人種なのだとあたしは思っている。
今ほど
彼らがその真価を発揮できる時はきっとない。
……なぁーんてあたしは思うんだけどね。
ダメだ、ミュージシャンの話になると入れ込みすぎて
自分で読み返してみてこっぱずかしいや(^_^;)。
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